第四編 自治時代

第十二章 在郷軍人会


 以前から、神西村在郷軍人会はあったが、明治44年(1911)頃に「帝国在郷軍人会神西分会」と改名した。そして、河南部(神戸川左岸)12村が共同で(事業は分会、資金は村、分会、神職会、有志より)、知井宮村真幸ケ丘に忠魂碑を建立した。これが大正10年(1921)のことである。以後年々「招魂祭」が行われている。これに祭られている戦病死者は次のとおりである。

 歩兵二等卒  森山捨太郎 大字大島   明治33年 8月14日戦死 北清事変
 歩兵二等卒  高見傳蔵  大字大島   明治33年 9月 7日病死 北清事変
 歩兵一等卒  糸賀佐市  大字沖分引舟 明治33年 9月20日病死 北清事変
 海軍一等水兵 今岡龍三郎 大字西分   明治37年 5月15日戦死 日露戦役
 輜重兵(輸卒)伊藤健五郎 大字西分   明治38年10月13日病死 日露戦役
 輜重兵(輸卒)岩崎健三郎 大字沖分原  明治37年11月10日病死 日露戦役
 歩兵上等兵  江角久蔵  大字沖分山地 明治38年 3月 1日戦死 日露戦役
 歩兵一等兵  濱村倉太郎 大字沖分小浜 明治32年 6月 7日病死 台湾守備
 輜重兵(輸卒)吉川良蔵  大字東分   明治34年 4月22日病死

 大正4年(1915)12月2日、宮城内で在郷軍人分会の御親閲(しんえつ)があり、米山大一郎・伊藤勝蔵(旗手)が御親閲を受けた。また昭和3年12月2日東京で分会御親閲があり、江角金太郎・江角潔(旗手)がこの御親閲を受けた。

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