第四編 自治時代

第八章 消防組


 大正元年(1912)に小浜・東分・西分に消防組が新設された。これより前に、湖北に設置してあったが、これも設備を整えた。後に山地にも新設して5消防組となった。後、村消防組というものができて、各消防組は「部」ということになった。5部とも公設消防組である。昭和5年1月7日、東京宮城前広場で全国消防組の御親閲があった。本村消防組を代表して吾郷栄三郎が上京して御親閲を受けた。

 各部とも完全な警鐘台を備えている。村消防組は、昭和7年10月に小学校ヘサイレン1台を寄附した。火災の時、村の中央にある学校から発する警報に用いるためである。学校ではこれを利用して、午前8時と正午と午後4時に鳴らした。後に午前6時の時報を加えたが、最近になって、午後2時の時報も加えたので、毎日5回鳴らすことになった。サイレンの時報は、野外の仕事をする者にも、屋内にいる者にも、時計の補正など、きわめて便利であり、サイレンはよい社会事業であった。しかし、暁や薄暮を告げる寺の鐘の余韻が低く長くひくところにも情緒があって捨てがたい。

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