第四編 自治時代

第二章 組合役場


 明治12年(1879)、町村編成の令にもとづいて、小さい村は組合村となった。神西沖村は大村であるため、1つの戸長役場であった。大島村は知井宮沖村と組合になり、東神西村は西神西村と組合になった。しかし会計は各村別にたてる。ただ事務の便宜上組合をつくったわけである。各村には「議事」というものがいて、村政に参与した。後の村会議員にあたるものである。

 この年の1月6日、「郡役所」が設けられた。神門郡役所は今市村(後の今市町)に設けられ、出雲楯縫郡役所は平田町に設けられた。そして、神門郡は佐藤郡次が初代の郡長で、15年8月まで勤めた。明治13年12月3日、平田郡役所は今市に合併され、「出雲神門楯縫郡役所」といった。

 また、明治13年3月の調べによると、小学校は神西東分と大島と神西沖分字原の3か所にあった。この時の教員は3名で、1校1名になっていた。

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