第三編 藩政時代

第六章 寺 院


 十楽寺については第二編でその縁起を述べた。再中興開山の護州和尚の時、天憐という僧を洞光寺(松江市)から招いて開山とし、同時に曹洞宗に改宗することとした。これが十楽寺繁栄のもとである。

『出雲鍬』に、この寺の末寺を次のようにしるしている。

 知井宮村  大岱山  福知寺
 奥田儀村  岩青山  本願寺  田1反
 多伎村   海雲山  知足寺
 古志村   務意山  浄行寺
 二部村   万歳山  宝願寺
 神西村   青雲山  玉泉寺
 薗村    見沢山  高野寺  寺領3石
 知井宮村  如意山  観知寺
 小田村   大雲山  法蔵寺  寺領3石6斗
 山口村   雲洞山  瑞応寺
 八幡原村  法延山  大圓寺
 三部村   無量山  浄土寺
 小田村   大願寺(大島村に移転)
 神西村   妙音寺  正久寺  高福寺  地福寺
 神西沖村  長雲庵  牛欄寺  吉祥寺
 松川村   妙楽寺

このように十楽寺は、神門郡曹洞宗の大寺である。

 神西城の西麓西本谷には願楽寺があったけれど、これより前に白枝に移転となっている。このうち、妙音寺(麓谷)、正久寺(西分)、高福寺(西分)、地福寺(小浜)、長雲庵、牛欄寺(山地)と吉祥寺(沖川)は、明治維新のとき廃寺となった。
 胎泉寺は、「創立、建保4年(1216)11月、もと真言宗で後に浄土真宗に改宗となる。享保2年(1717)4月、知井宮村より移転、宝暦6年(1756)東本願寺の末寺となる。」これがこの寺の沿革のあらましである。『出雲鍬』には胎泉寺の末寺として、

知井宮村、光明寺、林松庵、芦渡村、法泉坊

があるとしている。この法泉坊も胎泉寺の西へ転寺したものである。しかしまた先年四絡村へ転寺となった。

[表 紙]  [目 次]  [前ページ]  [次ページ]
inserted by FC2 system