第一編 官治時代

第一章 古代の住民


 近年出雲地方の各地で古墳などの遺跡が発掘されているが、その古墳や貝塚に埋蔵されている諸具から、我々の遠い祖先が居住していたことや、その暮らしの一端をうかがい知ることができる。

 古代住民の居住地跡としては、知井宮村福智寺山の横穴が有名であるが、同じような横穴は、小浜の寺山及びその西の岩山(岩山はいつとなく取り去られて今は平地になっている。)まで散在している。東分の方では神待の酒倉の上にもあり、山地の湖東尾西、小野木が松のまわりにもある。これらの小さい横穴からは銅剣・金環・椀形土器・壷形土器などが出るが、これは古墳で、亡くなった人の生前の所持品を死骸とともにおさめたものである。人骨は早くそこなわれて、最も堅牢(けんろう)な土器などがいつまでも残ったのである。このような古墳はかなり多く、また広く分布している。

 古墳とともに穴居の跡がなくてはならない。穴居していた穴は数畳敷のものである。本村でも2、3は見ているが、東分岩宿谷尻の岩穴は何であろうか。『雲陽誌』にも載っている有名な穴であるが、浸蝕を受けることがひどくて、今この穴の大きさを測るのは困難である。あるいは、穴居時代の穴の大きいものであるかもしれない。

 違い祖先は高台地や水辺に居住し、農作物を栽培せずに、狩漁を主として生活していたと思われる。今の平原地帯は古代には海であったと言われているので、高台である東分麓谷には早くから古代の人々が住みついていたと推定され、したがって本村文化の発祥地であると言えよう。

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